前編に引き続き、株式会社人生最幸代表取締役の村田和哉さんにお話を伺いました。
後編では、現役時代の活動や会社設立後の動きに加え、10年、20年後のビジョンについてお届けします。
「サッカーが好き」という人はもちろん、そうでない人にも、ぜひ読んでほしい内容です。
滋賀県にはJリーグチームがない。じゃあ、自分がチャレンジしてみる。
現役時代から、地元のJリーグチームを応援することが喜びであり、人生であると考える人にたくさん出会ってきた村田さん。
その出会いは、ピッチ外での行動が大きいといいます。
選手時代から、まちに飛び込んで行きました。
商店街の真ん中に住んだり、経営者さんや銀行の頭取にアタックしてご飯を食べに連れて行ってもらったり。
Jリーガーがやらないことを、僕はあえてやってきました。
夢講演も同じ。現役選手が自分でパワポをつくって自分で電話して、って、普通はおそらくやらない。
でも、やってきたことで、Jリーグが持つ力のすごさを感じました。
経済効果が生まれて、地元の飲食店が喜ぶ。いろいろなところが潤っていく。
今、滋賀県にないなら、じゃあやってみようと思っているだけ。

しかし現役引退後、滋賀県にJリーグをつくりましょうと話をすると、全員から反対された村田さん。
「滋賀県はやめとき。できないよ」と言われても、今までができていないだけ。
じゃあ、自分がやってみようとの気持ちのまま、行動を開始。
2021年と2022年。この1年の最も大きな変化は、気持ちだといいます。
「Jリーグをつくります」と言っている以上、カッコよくないとダメだと思っていました。
目指すゴールはある。でも、何もできていない。正直、怖さもありました。
でも、よく考えてみたら、清水エスパルスは30周年です。
僕はまだ滋賀県社会人リーグすら始まっていない(※取材当時)。
目指しているのは同じところだけれど、じゃあ、そんなカッコよくなくていいじゃないかと。
いい意味で力が抜けたのが、今年2022年です。

実際にできるかどうかわからない。
でも33歳の大人が、壮大な夢を持っている。
そして夢に向かって取り組む姿を見せる。
「いつの間にか、勝手にできていた」よりも、応援しながら実現を目指す。
そして、誕生することで、文化になるんじゃないか。そう考えるようになったといいます。
見てほしいのは、村田和哉が一からつくりあげていく姿。
土台づくりに取り組む中で、経営に関しての考え方についてもたずねてみました。
正直、今、経営者、起業家の取材を受けていますが、全く経営のイロハはわかりません。
でも、これまでに参加された数々の著名な方も、最初はこういう状態だったと信じています。
そして、僕の中では「村田和哉が一からつくっていく」ことが面白いんじゃないかと思っています。
チーム名の「ヴィアベンテン」も公募。ユニホームデザインを考えたのも大学生スタッフです。
ミズノさんにも手伝ってもらっていますが、基本は自分たち。取り組む姿も、今、全部撮り溜めています。

村田さんの手元にあるのは、2013年に守山市民グラウンドの隅で撮った1枚の写真。
セレッソ大阪を退団し、海外挑戦を目指すも失敗。
1人になり、グラウンドに自分の足で線を引き、サッカーをしていた。
この1枚の写真は、今、村田さんが語るストーリーの材料。
ユニホームを作る過程や、暗闇の中で走る練習風景を撮影しているのは、10年後、資料として表に出したいとの気持ちがあるから。
なぜ撮影するかといえば、「upstream」の取り組みと一緒です。
将来的に、あらゆる分野で人材が輝くように、滋賀県で起業家を育てたい。
そしてチャレンジする人に「昔、事務所もユニフォームも、名前もなくて、選手も誰もいなかったんやで」と伝えたい。
会見で用いたキャッチフレーズは「チーム名ありません、スポンサーいません、選手いません」。
思いは、Jリーグに入るチームをつくります。これだけ。だから挑戦をみてほしいんです。

2021年、あえてスポンサー営業やパートナー営業をしなかった村田さん。
まずは、1年間、「自分がどれだけ動けるか」と向き合いたかったといいます。
ただチームをつくる以上、お金が必要です。パートナーも、いた方がいいでしょう。
もちろんです。
ただ、村田和哉がこれからどのようにやっていくのか、全くわからない状態で行くよりも、まずは1年間、自分の行動を見せようと思いました。
去年はひたすら歩いて動く1年。
商工会さん、JCさん、ライオンズクラブさん、ロータリークラブさんなど、いろいろなところとコラボしました。
協賛企業さんもパートナーさんも、絶対後からついてくる。
僕たちが、ちゃんと滋賀県のために動いているか。発信し続けているか。
取り組む姿を見てもらった上で、次に進めると思っています。

共感を得ながら、実現に向けたストーリーを描く。
2022年2月頃から、本格的に企業への営業を開始。
売りたいのは「Jリーグのチームができた」という結果ではなく、できるまでのストーリー。
いかに共感を得られるかが重要だといいます。
今、チームに所属している選手は、20人。
プロではありませんが、全員、滋賀県出身、滋賀県民です。
まず彼らに言っているのは「まちのエースになれ」ということ。
守山市出身なら、守山のエースに。草津市出身なら草津のエースに。
地域を盛り上げ、地域の役に立つようにと、選手たちにもSNS発信を指導しています。
影響力が増えれば、協賛企業にもメリットがある。そんな道筋を描いています。

今までのスポンサーの主流は、資金援助でした。
しかし、村田さんが目指すのは「企業と何ができるか」の部分へのこだわり。
そして、面白いこと、ワクワクするようなことをやり続けること。
そのためには、自分が一番ワクワクしていなければいけないといいます。
だからこそ滋賀県のJリーグチーム誕生を、誰よりも村田さんは信じているのでしょう。
僕も今までいくつもの挫折や失敗がありました。
でも、結局、自分が思った通りになっている。これはイメージ力だと思います。
ただ、経営者としてはまだまだ何もありません。
みなさんに教えていただいて勉強している。だから、プライドも何もない。でも、これが僕の強みだと思います。
そして本当にJリーグが滋賀にできるか、できないか、それはわかりません。でも挑戦したい。
その想いに共感してくださった企業さんがいます。
さらに若者や選手も含め「村田さんの夢に一緒に乗りたい」「人生を変えたい」と言ってくれる人たちが増えてきました。

考えているのは、滋賀県に夢や希望、元気をつくりだす方法。ただ、それだけ。
「しがのわプロジェクト」を通じて、夢事業をする村田さん。
最大の理由は、滋賀県守山市出身であること。
他人からは栄光だと思われていることも、失敗や挫折ばかりの人生だと伝えることで、人が変わるきっかけが生まれるといいます。
ターゲットは、滋賀県民140万人です。でも、その中の核になるのは、子どもたち。
Jリーグをつくる理由も、影響力を持つ30人をつくりたいというのも、そのひとつ。
プロ選手として影響力を持った30人が、滋賀県の観光や企業をPRし、子どもたちに夢や希望を伝えていく。
「しがのわプロジェクト」を続けることで、10年後、20年後、大きな滋賀の輪が咲いてくると思っています。
夢を持った、ワクワクしている大人を、この滋賀県でつくりたい。「こういう考え方したら人生最幸やね」と思えるような世の中をつくりたい。
これが一番のテーマです。
Jリーグをつくることばかり言っていますから、“サッカーバカ”だと思われているかもしれません。
でも、本当にやりたいのは、滋賀県のまちに夢や希望、元気をつくりだすこと。今、興味があるのはそれだけです。

村田さんの人生を大きく変えた、井原正巳さん、高橋尚子さんとの出会い。出会いや経験が人を変えるとの言葉には、説得力がありました。子どもから大人まで、滋賀県民を巻き込んで描くストーリーの今後に期待です!