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HINO BREWING

HINO BREWING

田中宏明

日野祭を残したい
祭り好き3人が作ったビールとは

今回お話をお伺いしたのは、HINO BREWING代表の田中宏明さん。

起業の経緯や、滋賀農業公園ブルーメの丘内の醸造所でビールを製造することになったきっかけ、5年後のビジョンについてお話を伺いました。

Hino Brewing立ち上げの経緯

日野町で行われている、850年以上の歴史を持つ日野祭。

田中さんもお祭りに関わる氏子として関わっていました。 一度滋賀県を出て、Uターン。改めて見た日野町、日野祭の第一印象は「子どもの頃と全く違う」。

このままでは次の世代に渡せないと思いました。

でも、お祭りは、仕事ではなく余裕のある部分でやるべきもの。 「日野祭を残したい。なんとかしたい」とは思っていましたが、生活の中でお祭りに関わることのないまま、時間が過ぎていきました。

大きく運命を変えたのは、ポーランド人のショーン・フミエンツキさんとイギリス人のトム・ヴィンセントさんとの出会いでした。

田中さんが日野町に戻ってきた時点で、すでに日野町に10年以上暮らしていたショーンさん。 さらに、田中さんのUターンから5年後ぐらいに引っ越してきたトムさん。

町内会からトムに「お祭りがある地域なので、参加してくださいね」と伝えたら「喜んでやります」と参加してくれました。

日野祭を気に入ってくれたし、まちの人も、トムが積極的に参加してくれたことで「いい人が来てくれた」と大喜び。 一気に地域に馴染んでくれました。

すでに氏子として日野祭に参加していたショーンさんも同じです。

年代や国籍に関係なく、共通の話題として盛り上がれるのが日野祭のよいところ。 早速トムさんの歓迎会をしようと、ショーンさんと田中さんが計画しました。

歓迎会では、トムから「これから、どんなことがしたいのか」を質問されました。

僕はものづくり、製造業がしたかった。 「お酒に関わるものがいいな」と話したところ、たまたまショーンが「ビールをつくれるよ」と。 じゃあ一回試飲してみよう。サンプルができた、倉庫もある。じゃあここでつくってみようと軽いノリでスタートしました。

一見趣味レベルの話のようですが、実は最初から会社設立をイメージ。

しかし、3人とも会社設立に関する資金や必要な準備に関する知識はゼロ。 「やってみてダメならやめたらいい。会社をつくって、ビールをつくろう」と、飲み会当日に決定しました。

飲み会のノリで決まったようなものですが、ビールのつくり方自体は、ショーンが知っています。

しかし市場がどうなっているのか、免許はどうやって取るのか、そういった部分をひとつずつ調べていきました。

ブルーメの丘・醸造所との出会い

田中さんの実家は配達やレストランへの卸を営む、代々続く酒屋です。

コンビニのフランチャイズ経営もしているため、つくったビールを店頭で販売することに関しては、他の人よりもスムーズな印象を受けます。 しかし醸造所については、どうだったのでしょうか。

現在のビールの製造所は「株式会社北山ファーム」です。

僕たちは、ヒノブルーイングの役員でありながら、北山ファームの出向社員というかたち。 ただ、最初から想定していたわけではなく、もともとは今取材を受けている、この倉庫でやろうと思っていました。

「小さく始めるので、またいろいろ教えてください」と、挨拶しておこうと訪れた田中さん。

するとブルーメの丘側から「ここを使うことに興味はないの?」と問われたそうです。 ブルーメの丘は、元々第三セクターでした。 指定管理制度で運営を委託していたものの、あまりうまく稼働していない状況があったそう。

「いい話だ!」と思ったものの、ブルーメの丘には、すでにビールの製造免許がありました。

改めて自分たちで免許をとろうとすると、その会社を1回潰すか買収が必要です。 税務署に相談したらM&Aを薦められましたが、まだ売上もなく、資本金を持ち寄っただけの会社がM&Aをするのは現実的ではありません。

酒販免許を管理している税務署、物件を管理している日野町、

委託運営を受けている北山ファーム。そしてHino Brewing。 4つの組織全てが納得するような形を見つけるため、半年ほどかけてやり方を模索。 折衷案が見つかったことでようやくスタート。

製造会社と販売会社を分ける、いわゆる出向の形です。

名を捨てて実を取る。名前はさておき、実際にやっているのは自分たち。 だから、別にいいよねという形で始まりました。

1997年開業のブルーメの丘。

実際に醸造所の中を詳しく確認すると、想像以上に設備が老朽化していました。 このままでは使えないレベルの状態。 一部は業者さんにお願いし、田中さんたち3人も、設備屋レベルのDIYスキルを身につけながら修繕していったといいます。

5年後の未来、県内に直営店を出したい

田中さん自身もデザイン経験者ですが、Hino Brewingに関しては、トムさんに一任。

実は、トムさんの本職は、クリエイティブディレクター。 ブランディングやコンセプトワーク、クールジャパンの評議員などの経験者だそう。

特徴的なキャラクターは、トムのコネクションを使い、最終的にイラストレーターさんに依頼しました。

ラフ画を見た瞬間、3人の意見が一致。周りに飛んでいる★だけ、僕が追加した気がします。 動きがある方がいいかなと思って。

2018年に製造を開始し、現在の運営規模にまで拡大。

順調に進んでいたものの、新型コロナウイルス感染症拡大による影響が及びます。

一旦、とんでもないところまで落ちましたが、今は、持ち直してなんとか横ばいの状態が続いています。

ただ経営としては、かなりしんどいです。必死です。

日野町、日野祭の衰退から、生まれたのは、地域の子どもたちに活気あるまち、日野祭を残したいとの思い。

お祭り好きな3人が集まり、お祭りのときに飲んだら楽しくなるビールが誕生。 ここから5年先の未来について聞いてみました。

県内に直営店を出したいです。僕たちは、メーカー業務。

ビールラベルの裏面にQRコードをつけて、日野祭や他の地域のお祭りの情報発信をしていますが、それだけではノリは伝わりません。 どれだけ臨場感あふれる音源だとしても、CDと生のライブは違う。 だからこそ、うちのビールが飲めて、お祭りの雰囲気が味わえるような。体験できるような場所がつくれたらいいなと思っています。

実は、直営店構想は創業当時からイメージしていたという田中さん。

しかし、人員・体力の面から、1年目や2年目では難しく、次にやってきたのは新型コロナウイルス感染症拡大の影響でした。

コロナ禍が明けたら直営店をやりたいと思っています。

僕たちのビールは、もちろん味や品質にこだわっています。おいしいのは当たり前。 でも、おいしさ以上に、ビールを通して伝えたいことがあるんです。伝え方のひとつの方法が、お店だと思っています。 「滋賀県に祭り居酒屋みたいなものがあるらしい」「おいしいクラフトビールと地域のお祭りの雰囲気が楽しめる」 「メニューには、お祭り限定料理がある」。そんな店をつくりたい。 今、人が集まって楽しむことができないからこそ、余計に思います。 「Hino Brewing」として、やるべき1つのコンテンツ。実現したいですね。

前編ではHINO BREWINGの事業やこれから行われる未来の方向性をお伺いしてきました。

後編では、田中さんの経験したことや起業を目指す次世代の方へのメッセージをお届けします。

後編を見る

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